1926年 ベトナムで生まれ、十代で出家して禅僧となりました。
その後、国内に仏教大学を設立。また、アメリカやヨーロッパの大学で教鞭をとり、平和活動家としても活躍。その功績が認められマーティン・ルーサー・キング牧師にノーベル平和賞候補者に推挙されました。
1966年以後、フランスに亡命、難民救済活動や公演活動を行っています。
1995年には来日して、各地で公演をおこないました。多数の著書があります。
ハン氏と私を結びつけた 不思議なご縁
私には、ティック・ナット・ハン氏の著書『理解のこころ』(原著:『THE HEART OF UNDERSTANDING』)の翻訳をした経験があります。
この本と私の出遇いに際して、少なくとも三人の方とのご縁がありました。一人は、今はもう亡くなられた真徳寺の前住職、武田寛弘氏です。寛弘氏は私の遠い親戚でもあり、また私にとって大切な仏教の先生です。二人目は、真徳寺に時々来ておられた大円・ベナージュという方です。ベナージュさんは生粋のアメリカ人女性ですが、若い時に日本に来られて日本の文化に興味を持ち、ついには禅宗の尼さんになられた方です。現在は、アメリカで座禅道場を開いておられます。そして、三人目はベナージュさんのお友達であるジーナさんという女性です。この方も仏教を学んでおられました。ジーナさんはハン氏と出遇い、生涯の師と仰がれて、現在は一番弟子として、彼の身の回りのこと全てを世話しておられます。
真徳寺を介して、私にはベナージュさんやジーナさんとの面識がありました。特にベナージュさんとは今も時々メールでやり取りしています。そのベナージュさんが真徳寺にハン氏の著書『理解のこころ』を紹介され、寛弘先生を通じて私は彼のこの本と出遇いました。日本でハン氏の名前はあまり知られておらず、私自身もこの本に出遇うまでは彼を知りませんでした。きっと、この三人とのご縁が無ければ彼の英語の書物と出遇うこともなかっただろうと思います。
皆さんと共有したい“ 想い ”
そんな私でしたが、この本の最初の頁を読み始めた途端、一気に惹きつけられてゆきました。彼の言葉は、とても明解でした。そして、その言葉が私の心の深くに染み渡ってゆくのがはっきりとわかったのです。
“ この想いを、多くの方々と共有したい ”
そんな強い気持ちに揺り動かされ翻訳を思い立ったのは、この本を手にしてからあまり時間の経っていない頃だったように思います。
これが、私とハン氏の出遇いです。
ここでは、彼が著書『理解のこころ』の中で伝えようとしたこと。そして、彼の著書を通じて私が感じたことを紹介してゆこうと思います。